会頭よりお知らせ

本ブログはフェイスブックグループ「鉄分補給の会”Forum"26”の投稿を転載しています。フェイスブックに登録していない方もお楽しみいただけるとうれしいです。転載するのが遅れないように努力しますが・・・ご勘弁下さい。また、フェイスブックに投稿された動画は切り抜き画像で紹介させていただきます。

2019年2月23日土曜日

フィーバー前の夕張支線


二年ほど前に車で、夕張支線を訪ねた時の写真です。
 今ほどフィーバーしているわけではなかったので、静かな環境で訪問してきました。

清水沢から、南大夕張の保存車両を見学きれいな状態で保存しており、携わっている方々の熱意が伝わってきます。


 





この日、走行していたのは日高線色の
キハ40 350 日高線が休止してから石勝線、室蘭本線の列車にも使われていました。
昨年、両線に乗ったときは全く見かけませんでしたが・・・

仙台市にお住いのTT様より画像をお送りいただきました

 TT様とは仕事を通してお会いし、「西帯広駅調査」をきっかけに鉄をこよなく愛する者同士としておつきあいをさせていただいております。平成27年に仙台市の方に越されてからも、様々な鉄の情報をお送りいただいております。
 今回はTT様のご自宅と勤務先の窓から見える素敵な鉄の景色をお送りいただきましたのでご紹介させていただきます。(MM)
ご勤務先から撮影したアイアンビューです
TT様の勤務先は仙台車両センターに隣接しているそうです。新幹線、E721系、E701系、E719系、そして仙石東北ラインのHB-E201系ハイブリッド気動車が見えるそうです。これぞ「夢の世界」ですね。
ご勤務先から撮影された仙台車両センター 高いビルのあたりが仙台駅です
TT様のご自宅がある地域は、新幹線と在来線が並行して通り、仙台駅をバイパスする貨物列車も通過するそうです。
ご自宅から撮影された長町駅 後方に見えるのは蔵王です
生活空間にアイアンビューが存在している…私たちにとっては『絶景の中での暮らし』と表現しても過言ではありません。私も住宅と勤務先から「ふるさと銀河線」が見える至福の時の中で6年を過ごしました。十勝でこのような景色の見えるところと言えば…帯広貨物駅が見えるところくらいでしょうか。JR柏林台駅周辺にある物件探しに出かけたくなりました。
 TT様、本当にありがとうございました。

鉄分満載の自転車グッズ

MMです。実は昔(今でも継続しているつもりですが)、サイクリングにはまっていた時代がありました。高校時代の同級生が自転車店を経営していたという環境のおかげですね(鎌田輪業…帯広市東7条南4丁目1 国道38号線沿い歩道橋が目印 KBCカマダバイシクルクラブを運営しており、マウンテンバイクのオリンピック代表 山本幸平 選手、シクロクロスの全日本チャンピオン山本和弘選手、競輪の小原伸哉選手もかつて在籍していました。)。サイクリングと鉄男の二足の草鞋を履いていたことを知っていた鎌田輪業社長からいただいた逸品を紹介します。せっかくですので全部載せてしまいます。








2019年2月16日土曜日

偶然ファイリングしていたパンフレット

それほどマメな性格ではないので、どこに何をしまったのかすぐに忘れてしまいます。クリアファイルを整理していて発見したパンフレットです。懐かしさを感じていただけたらうれしいです。(MM)
リゾート列車にはあまり興味はありませんでした。ただ、池北線からふるさと銀河線へと移行する頃、アルファコンチネンタルが勇足付近を走っているのを見たときはちょっと感動しました。

C62-3の復活物語をテレビ番組で見て、久しぶりにSL魂に火がつきました。一目見たくていざ小樽へ。念願のカメラ撮影の夢を果たしました。そのときの写真は近日公開します。乗りに行こう!と決意したときは、運転が終わっていました(涙涙…)

寝台列車に乗ったのは、高校の修学旅行(はくつる・ゆうづる)と『からまつ』だけです。ちなみに私の父母は「北斗星」と「トワイライトエクスプレス」に数回乗っています。



~スーパーとかち回顧録~
キハ183非貫通、ダブルデッカーのキサロハ182-550番台を連結した「スーパーとかち」は、現段階の私が生涯で最も愛する車両です。現役で活躍していた頃、2階グリーン席のシングルシートに座るのが、この上ない幸せなひとときでした。駆動用エンジンが搭載されていないことによる静かさ、24席しかない2階席、サービスでいただけるホットコーヒー…私にとっては贅沢な気分を十分に味わえる車両でした。

2019年2月14日木曜日

1980 桑園駅そばの踏切にて C56160

予備校生時代に偶然写したライブスチームです。乗りたかった~!(MM)







モータードライブは高価で手が出ませんでした。手持ちで必死に撮影しました。浪人時代は暗黒…でもなく、それなりに結構楽しんでいました。40年も前の話になってしまったのですね。

1981(昭和56)年 札沼線の旅












おそまつさまでした~(笑)