会頭よりお知らせ

本ブログはフェイスブックグループ「鉄分補給の会”Forum"26”の投稿を転載しています。フェイスブックに登録していない方もお楽しみいただけるとうれしいです。転載するのが遅れないように努力しますが・・・ご勘弁下さい。また、フェイスブックに投稿された動画は切り抜き画像で紹介させていただきます。

2019年3月17日日曜日

20年以上も前に撮影したNZのTram

ニュージーランドがまだ海外旅行の人たちでにぎわう前でした。私の英語など通じるわけはなく、ひたすらボディランゲージで乗り切りました。オークランド、クライストチャーチ、クイーンズタウンを訪ねましたが、クライストチャーチが一番楽しかったです。地震による災害以前でしたので大聖堂も健在でした。先日、悲しい事件が起きてしまい残念です。
Tramは乗り方も簡単で大変便利でした。(MM)

2019年3月16日土曜日

池北高原鉄道 ふるさと銀河線 営業開始直後

MMです。1989年(平成元年)から1997年(平成7年)まで本別町勇足に住んでいました。国鉄池北線は、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989年(平成元年)6月4日に北海道ちほく高原鉄道に転換され、路線名もふるさと銀河線に改称されました。そんなタイミングで、職場も住宅も銀河線に隣接しているという鉄環境に恵まれたところに身を置くことができました。おかげさまで、至福の6年間を過ごすことができました。

開通間もないころの写真がアルバムに残っていました。銀河線の使用車両CR70、CR75の開業当時の屋根は白色で細いオレンジ色のラインでした。その後事故防止の観点から太いラインに変更されました。写真はすべて「細いライン」の時代のものです。

駅舎の写真も残っていました。本別駅は新しく建て替えらえたもの、勇足駅は国鉄・JR時代のものです。

本別町の広報誌です

友の会もありました 入会しておけばよかった・・・

 開業イベントでにぎわう本別駅 旧駅舎が映っていました

 勇足駅 旧駅舎の方が親しみをかんじます

 勇足小学校付近を通過 2両編成北見行

勇足駅に停車中          勇足小学校から神社へ向かう踏切

 池田行き 快速銀河と命名される前

 銀河線に乗って 本別の街に出て一杯 本当に便利でした

 JRからの転換期にはアルファリゾートコンチネンタルも入線しました
バックに勇足小学校が写っています この頃、屋根の色はオレンジ色でした
今はなき、学校プールもありますね

 遠方から撮影 右の写真は、押帯(おしょっぷ)の鉄塔付近から撮影しました

池田駅からはJRと連結して帯広駅まで走りました
帯広駅の西側に駐車(表現がわからない)しているのをよく見かけました
西5条通りの上あたりです グーグルアースで見るとよくわかります

 新しくなった本別駅「ステラプラザ」    今は道の駅になっています

 三角屋根は北斗七星型に並んでいます

3番ホーム          勇足駅、仙美里駅も同じイメージでした

こ線橋から見た本別駅

 こ線橋は現在も残っています

駅前通りにあるケーキ屋さん「かねもり」に昔からある「ほんべつの街」というアーモンドとはちみつバターと、たっぷり上にのっているお菓子が私は好きです。

2019年3月10日日曜日

スイッチバック廃止直後の奥羽本線 板谷峠





高校2年の冬、東北ワイド周遊券で旅した時の写真です。残念ながら、スイッチバックは廃止になっていましたが、旧駅の周辺はまだ手付かずでその雰囲気を味わえました。
ホームに響く、峠の力餅の立ち売りの声。感動でした。

C623の雄姿

1988(昭和63)年8月15日に撮影したC623です。現在苗穂工場にて静態保存されています。「臨時快速C62ニセコ号」として小樽ー倶知安間を走る姿を撮影しました。C62を見たのはこの時が初めてでしたが、その迫力には圧倒されました。UCCのカフェカーでコーヒーを飲んでみたかった…


















同じ鉄夫だったいとこに案内されて撮影ポイントへ。その後一目散に小樽駅へ。ギリギリ間に合いました。客車を切り離したC623は小樽築港へと帰っていきました。  MM

C623 略歴
落成 昭和23年6月18日     改造元車両 D52458
北海道に入った最初のC62(小樽築港機関区)  昭和31年9月26日
休止 昭和48年10月1日     廃車 昭和51年3月19日
復活運転開始 昭和63年4月29日   運転終了 平成7年11月3日
平成22年10月 準鉄道記念物に指定