近所で見つけた史跡標示。実家のそばです。利用したことはないのですが、駅の前の国道241は日常と言っても良いほどよく通っていました。でも、なくなってからでは取り返しはつきません。
ここは大丈夫だとうと思っていた根室本線でさえ、稲士別、上厚内、羽帯が相次いで廃駅となってしまいました。利用もせずに「残してほしい」の願うことは実に厚かましいと思うわけで…鉄ちゃんの中では「乗り鉄」様々ってことですね。そうなるとTAさんとはづきさんには足を向けて寝られませんね。今後、帯広で飲み会があるときには、できるだけ西帯広駅から帯広駅までJRで出かけることにしたいと思います。
日高線…残念です。鉄路が残っているうちにぜひ訪れたいと思います。
北海道集治監十勝分監建設のための木材を、上士幌町ぬかびら源泉郷周辺から切り出し、音更川で流送していました。北海道集治監音更出張所も十勝分監建設と深く関わっていました。
上の標示板と並んで立っているのが士幌線木野駅跡の標示板です。音更町内にはこんな標示板がたくさんあります。帯広市、士幌町同様、その取組に敬意を表します。
木野駅前から国道241方向と国道241から木野駅跡を見た写真です。左側は「ハピオ」です。国道と駅とはそれほど離れていなかった記憶があるので、木野農協店舗「ハピオ」の並びくらいかなと想像します。
以前アップした広尾線更別駅と上更別駅の標示板の「裏側」です。1回目に撮影したときは裏側があるとは思ってもみませんでした。
更別駅跡の標示板です。
上更別駅跡の標示板です。
上更別駅から国道236方向、駅跡周辺に残る農協関連の倉庫です。農村地帯の駅周辺には定番の建物ですね。
いよいよ冬がやってきました。樹木の葉が落ち、士幌線清水谷駅以北の線路跡がはっきりくっきり見えるようになりました。黒石平、ぬかびら源泉郷、幌加、三股にはこれからしか見られない(気づかない)遺構が顔を出します。タウシュベツをはじめ、よく紹介されているコンクリート橋は、「一部」と言っても過言ではないと思うのですが…。
上士幌では「ナイタイテラス」が注目を浴び、そして次は道の駅オープンや自動運転バス(運転席がない!)などこれからもいろんな取組が展開されるようです。しかし! 上士幌町の面積の76%は大雪山国立公園と国有林なのです。そんな大雪山国立公園の中の黒石平、ぬかびら源泉郷、幌加、三股地区のすばらしさをもっともっと知ってほしいと思います。MMでした。
会頭よりお知らせ
本ブログはフェイスブックグループ「鉄分補給の会”Forum"26”の投稿を転載しています。フェイスブックに登録していない方もお楽しみいただけるとうれしいです。転載するのが遅れないように努力しますが・・・ご勘弁下さい。また、フェイスブックに投稿された動画は切り抜き画像で紹介させていただきます。
2019年11月16日土曜日
2019年11月10日日曜日
鉄に惹かれたきっかけ
MMです
私の旧友、と言ってもまだ20代ですが、Forum#26に入会くださいました。長野県在住のSKさんです。今、グーグルアカウントを設定中かなと思います。近いうちに情報をアップしてくれると思います。よろしくお願いします。
さて、人生振り返るにはまだ早い!・・・と思うわけですが、今の仕事に就いた「きっかけ」とか、今の場所に住む「きっかけ」など、決断したり、始めたり、好きになったりした「きっかけ」は誰にでもあるのかなと思います。
自分が鉄道好きになったきっかけを思い出してみました。勝手な独り言だと思ってください。
記憶が一番古いのがこれ
実物は残っていませんが、小学校に入学する前に父親が作ってくれたおもちゃ。機関車は黒く塗ってありました。家の中ではなく、外で遊んでいた記憶があります。
次はこれ
鹿追町の下幌内に住んでいたとき、車で鹿追市街まで買い物によく出かけました。途中にこの標識がありましたが父親は「ここは汽車がこない踏切だから、とまらなくていいんだ」と教えてくれました。それからそこを通る度に「汽車がこない踏切」と言っていた記憶があります。実はこの踏切は河西鉄道鹿追駅から貨物専用の万代橋駅へとつながる線路でした。そのことを知ったのは40年以上もたったあとでした。
そして
読書があまり好きではなかった私が夢中になって何度も読んだのがこの童話です。今でもとってあります。図鑑以外ではこの本くらいしか覚えていません。
つぎは
私の旧友、と言ってもまだ20代ですが、Forum#26に入会くださいました。長野県在住のSKさんです。今、グーグルアカウントを設定中かなと思います。近いうちに情報をアップしてくれると思います。よろしくお願いします。
さて、人生振り返るにはまだ早い!・・・と思うわけですが、今の仕事に就いた「きっかけ」とか、今の場所に住む「きっかけ」など、決断したり、始めたり、好きになったりした「きっかけ」は誰にでもあるのかなと思います。
自分が鉄道好きになったきっかけを思い出してみました。勝手な独り言だと思ってください。
記憶が一番古いのがこれ
実物は残っていませんが、小学校に入学する前に父親が作ってくれたおもちゃ。機関車は黒く塗ってありました。家の中ではなく、外で遊んでいた記憶があります。
次はこれ
鹿追町の下幌内に住んでいたとき、車で鹿追市街まで買い物によく出かけました。途中にこの標識がありましたが父親は「ここは汽車がこない踏切だから、とまらなくていいんだ」と教えてくれました。それからそこを通る度に「汽車がこない踏切」と言っていた記憶があります。実はこの踏切は河西鉄道鹿追駅から貨物専用の万代橋駅へとつながる線路でした。そのことを知ったのは40年以上もたったあとでした。
そして
つぎは
小学校の4年生か5年生のときに繰り返し読んだ本です。この頃は湧別町に住んでおり、湧網線、名寄本線共に健在であり、よく利用させていただきました。最寄り駅は湧網線の志撫子乗降場だったのでSLは9600でした。D51は石北本線を走る姿が記憶に残っています。「日本で一番高いところにある駅は?」というベタななぞなぞが妙に好きで買ったのが「東京駅ものがたり」です。
音楽も
知る人ぞ知る、私の中では名曲にひとつ「でごいち」です。ちゃんとレコードも買いました。昭和46年度NHK「あなたのメロディー」で最優秀曲になった作品なんです。昨年46年ぶりにグループが再始動したとか…。そして「でごいち」のCDが発売されました!
これでノックアウト
そして「鉄は一生もん」となったのが、杉みき子さんの「加代の四季」です。実際にはこの本ではなく、小学校の教科書に教材として掲載されていました。子どもたちと一緒に何度も読んでいるうちに、ちょっと薄まっていた鉄分がどんどん濃厚になってきました。ぜひ「春」の一節を読んでください。
自分の勝手な分析では、ここに出てくる貨物列車とは、新潟県の頸城鉄道ではないかと…はづきさん、ぜひご意見を。
本の表紙とかレコードジャケットなどを勝手に掲載するのは「×」なので、雰囲気だけの画像になってしまいました。
長々と書いてしまいました。私事ばかりですみません。60年近く生きていると、随所随所に「きっかけ」があるものですね。さぐってみると、ちょっとスッキリしました。
みなさんの「きっかけ」もぜひ教えてください!
2019年11月4日月曜日
冬が始まりますね、除雪機関車など・・
気温も下がり、雪が降る季節になりそうなので、
少し古いですが(3年前の元旦だからやや4年前)DE15を。
単線の石北本線に、複線型のラッセルでした。
残念ながら、降雪は無く羽はたたんだままでした。
残念ながら、降雪は無く羽はたたんだままでした。
一度は、大きく雪を跳ね飛ばす姿を見てみたいものですが・・・
今年も走ってくれるのか、去就が気になるところです。
今年も走ってくれるのか、去就が気になるところです。
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